1200℃から生まれる芸術

良いものはいい。
この世の真理。

今日は京都まで足を伸ばして安井金比羅宮と憧れのガラス工房焱さんに行ってました。

安井金比羅宮はちょうど去年の5月に仕事辞めたい&いい所に就職したいを中心に色々お願い事をして、先日とうとう新しい仕事が決まったのでお礼参りに。
ガラス工房焱さんは↑の最寄りより少し先の駅だと気付いてこれはこの機会に行くしかあるまいよと。

所要時間3時間近いのに昼過ぎに出発
するゆるゆるっぷり。朝風呂ついでにガッツリカビ取り風呂掃除してたからさ。
ついでに終点で降りるはずがぼんやりしてたもんだから折り返して2駅戻るアディショナルタイム。Twitterで呼び方変わったものリスト見掛けたけどロスタイムでいいだろと思う。駄目なの?
それはさておき。

とりあえず先に遠い方のガラス工房焱へ。職人の菅清流さんと直接お話し&試筆しながらガラスペンを選ばせて頂きました。
これがもうほんの10分ほどかとは思うんですけど物凄く楽しくて楽しくて。
清流さんから語られるガラスペンへの強い拘りがもうね、最高だったんですよ。
ガラス“ペン”なんだから見た目だけ良くても書けなきゃ意味ないってことを仰ってて「マジでそれです!!!!」って言っちゃった(笑)

正直なところネットで見た目気に入って買ったガラスペンにも書き味がそんなによくないものもあるんですよね。一定の角度でないとまともに書けないとか、万年筆向きのガチな紙でしか書けないとか、あるんですよ、あんまり大きい声で言えないけど。
あとボディの見た目も捻れ模様の部分をよく見たら若干の焦げみたいなのが見えてるものもあったり…するんですよ…
ペン先の角度が非対称だったりも、はい。

そういった“ムラ”はどうしてもあるものだけどそこを妥協するかしないか。ムラの大きさは各職人の気質が出てくると。僕は失敗したら廃棄するんですよねと当たり前のように仰ってて拘りつえぇ〜〜〜職人気質〜〜〜!!!ってめちゃくちゃ興奮しましたね。中途半端なモノは世に出さないという気概が最高でした。そういう人大好きです。

でお話し聞いてる中で私が特に感動したのがなんと清流さんのガラスペンは「ペン先を回さなくても書き続けられること」ですね。
普通のシャーペンとクルトガを想像して頂ければわかりやすいですかね。
世のガラスペンて結構「筆記の際はペン先を少しずつ回して頂くことで溝からインクが流れ書き続けることができます」って説明書きがあるんですよ。言うてそこまで沢山てきたわけじゃないですけどね?
まあこれまで出会った殆ど全てがペン先を回して書くことを前提にされていたんです。
私が気に入ってるaunさんのも例外ではなくずっと同じ部分を持って書いてるとインクが途切れてました。

正直この点だけはガラスペンハマった頃からうーん、と若干不満を感じてた部分なのですが、世の中のガラスペンがみんなそうであるならそういうものかと諦めておりました…

ところがどっこいですよ。

「ペン先見て貰ったらこう、均一で滑らかになってるのわかりますか?こうすることで僕のは回さなくても書き続けられるように作ってるんです」

ワッツ??????

まあもう大興奮ですよね。
だって考えてもみてください。
筆記具を手に持った時の収まりがいいポジションってガラスペンじゃなくてもあるじゃないですか。モノにより人により千差万別、つまり回して書かないといけないということは常にベストポジションで書くのは不可能!他の溝に残ったインクを諦めてさっさと新しいインクに付ければ解決はするけどそうじゃないだろと。
シャーペンでも尖った部分で書くために回してたわけですけどクルトガが生まれたことによりペンを回す必要がなくなりましたね?
そういうことです。
一度ベストポジションを見つけたらずっとそのポジションで筆記可能!!やべぇ以外の言葉が出ない!!!

“素晴らしい技術の賜物(=モノ)”ってすごく好きなんですけど“素晴らしい技術”そのものも好きなんですよね…
学生時代オタ友に歌い手を物凄いおすすめされたんだけど「私の“ボカロ好き”は“ボカロという機械音声技術とそれを駆使して作品を作る技術が好き”だからごめんね〜」って回避してた記憶。今では歌い手版も聴きますが(笑)

話が逸れた。
ともあれ。

洗練された技術ともはや執念とも呼べるほどの情熱を持って何かに取り組む人は輝いてらっしゃるし、そこから生み出される作品もそりゃ素晴らしいものになるよね。

Q.ところで今月2本目のガラスペンではないですか?
A.美しい実用品はいくらあってもいい