絵日記

今日10時間以上絵描いててびびる。
その日あったことや印象に残ってることを絵に描いて日記を描く。
小学生の時に夏休みの宿題で絵日記3日分とかあったけど地獄だったな。
今でこそ日記くらい書けと言われればいくらでもって感じですけど子どもに日々「楽しかった」「面白かった」を具体的に文字にするだけじゃなくて絵にも起こさせるの、結構難しいことやらせてない?とふと思った。
やり方を教えて「じゃあやってきてね」ならまだしも「夏休みは特別だからこれとこれとこれやってきてね!」ってのは、実際の教育の形と子供に求めてる結果に矛盾が生じてないか。
自分で考えたり調べろ、と大人になった私から昔の私に言うのは簡単だけどもそれはやっぱり子供には酷な話じゃないか?
私はテキスト系の宿題はいくらでもできるしすぐやるけど、自由研究とか絵日記、ポスター制作に貯金箱制作、読書感想文は死ぬほど嫌いだったな。
真面目な親の手前いやだとか言えなかったけど毎年毎年怒られながらやってた。だってやりたくないし!(笑)
意味わからないじゃないですか。
なんで夏休みだからって家で貯金箱作らされるんですか?本読んで感想書かなきゃいけないんですか?何かを研究しなくちゃいけないんですか?
普段からやらせてくれればそんなこと夏休みにしなくていいじゃない。
と子供の私はここまで考えてたわけではなくただ本当にマジのマジでやりたくなかったなって。
渋々でもやって提出して学校でほめてもらえてたからそこに関しては親に感謝ではあるかな。
こうして振り返ってみると強制されないとやりたくないことはまじでやるつもりがないの、全然変わってないな私。
というか工作にしろ自由研究にしろそれなりにやってみたいこととか変なアイデアはわんさとある子どもだったと思うけどね。
ただ現実問題お金出してくれるのは親だし、あと変なこと言ったって真面目に考えな!って怒られるだけだったしなにかにつけ諦めの感情はあったかもしれないなぁ。
だから大人になって「諦めな」って言われるのが苦痛なのかもしれないな。
諦めをポジティブに言い換えたら?ってコーチングの世界ではクライアントに問いかけたりするんですけどね。
まあ正直うっせーわばーーーーーーーーーーか!!!!!!!!!!!!!!
ってなりますよね(笑)
そういう精神状態の時にコーチングは受けない方がいいです。
ていうか嫌いなものは嫌いなんだから仕方あるまいよ。
別に言い換えなくてもその諦める行為に何かしらポジティブな意味を見出せるのならそのままでいいじゃんと私は思いますけどね。
そんな感じ。