更生と怨嗟

今日は少し早めの投稿。

起きてみればTwitterは凍結祭り、次なる安住の地を求める人々の一斉移動準備によりくるっぷはキャパシティオーバー、各種SNSに避難場所を用意するついった民。

Twitterがなくなったら、よりはTwitterと似たTwitterより優秀な居住地が見つかったらそこに行くんじゃ?

それはそれとして、Facebookのニュースフィードに某芸能人さんが某犯罪者と知り合いだった/今回の事件に関与はなしであるものの…って内容の記事流れててそれ自体はいいんだけどついてるコメントに渋い顔になってしまった。

加害者が幸せになるべきではないって外野が言うことでもないんじゃなかろうか…
だからといって加害者の幸せを認めるべきと外野が言うのも違うような…
意見として「ある」ことは全く問題がないはずなのに、目に見える形や聞こえる音として言葉になって発せられてしまうと、十人十色千差万別の「解釈」がなされて、歪んで、噛み合わなくなる。

というか、赤の他人の幸せどうこうの前に、自分の幸せを考える方が、有意義なような…
私も含めて人類あまりにも他人の領域を踏み荒らすことに無自覚なんだな…